八王子見て歩記/八王子のチンチン電車
2008年 11月 18日
武蔵中央電気鉄道
通勤客や学生さんで満員のバスが甲州街道を走っていく。
八王子の通勤時間帯によく見られる風景です。
同じ甲州街道を、かって路面電車が走っていました。
武蔵中央電気鉄道とは
昭和4年(1929年)、今から79年前の11月。天皇陵完成に合わせて甲州街道に線路が引かれ、電車が走り出しました。東八王子駅を起点とする路面電車「武蔵中央電気鉄道」です。当初は、浅川駅前(現:高尾駅)~追分間の4Kmで、3年後の昭和7年(1932年)4月には全線が開通しました。
御高齢の方なら憶えていらっしゃるかもしれません。車両は都電荒川線の旧型車輛と同じ、一両編成のチンチン電車。路線全長8.4Km・全19駅。所有時間約30分で、当時の運賃は1区6銭・片道全線(4区)24銭だったそうです。コーヒー1杯10銭、岩波文庫20銭、お米一升(約1.5kg)50銭の時代です。今の物価に換算すると、1区180円、片道全線(4区)で720円くらいでしょうか。意外に高い。
その後、鉄道やバスとの競争に破れ、また商店街から騒音の苦情が出たりで、昭和14年(1939年)6月には廃止されてしまいます。八王子の路面電車はわずか10年の命でした。写真は、武蔵中央電気鉄道の乗車券の実物です。今から見ると、どこか懐かしい感じがするレトロなデザイン。
本線の路線は、現在の甲州街道上を走る18駅=東八王子駅前駅→新町駅→横山町駅→八日町駅→八幡町駅→追分駅→千人町駅→地蔵堂駅→ 横山車庫前駅→横山駅前駅→浅川新地駅→御陵前駅→浅川原駅→浅川駅前駅→川原宿駅→ 小名路駅→落合駅→高尾橋駅と、八王子駅までの支線として、横山町駅から分岐する八王子駅前駅がありました。全部で19駅。
計画路線は、八王子〜立川〜所沢を経て東北本線の大宮まで到達するというスケールの大きなものだったようですが、とうとう実現しませんでした。路面電車に乗って大宮までですか…。つらそう。戦前のことゆえ、今となっては駅の位置もはっきりしません。
京王資料館様にお聞きしたら、武蔵中央電気鉄道の19停留所は、その後バス路線と代替えしたので、現在のバス停の名前や位置と、当時の停留所がほぼ一致するはずとのアドバイスをいただきました。
武蔵中央電気鉄道の路線図を現在の地図上に重ねたイメージ図です。始点の「東八王子駅」は、当時明神町にあった現在の京王八王子駅です。旧・浅川駅は現在の高尾駅にあたり、廃線となった京王御陵線も入れてみました。(クリックで拡大)
なぜ廃線に?
武蔵中央電気鉄道の歴史を、京王資料館様に教えていただきました。
元京王電鉄広報課長で郷土史家の清水正之様が書かれた資料があるそうです。
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■武蔵中央電気鉄道の路線
開業区間 営業Km程 開業日
追 分 〜 浅川駅前 4.0Km 昭和4年 11月
追 分 〜 新 町 2.0Km 昭和4年 12月
高尾橋 〜 浅川駅前 1.8Km 昭和5年 3月
新 町 〜 東八王子 0.2Km 昭和5年 12月
横山町 〜 国鉄八王子駅 0.4Km 昭和7年 4月
「武蔵中央電気鉄道」の設立当初の社名は「高尾山電気鉄道」でした。その後「八王子電気鉄道」と改称し、最終的に「武蔵中央電気鉄道」になりました。他の資料を見ると、「武蔵中央電気鉄道」と「八王子電気鉄道」は経営主体が異なる別会社だったようですが、残念ながらこの部分の資料が私どもの所にはありません。
当の「武蔵中央電気鉄道」は、八王子まで京王線や当時の省線(旧国鉄・現JR)でやってきた多摩御陵の参拝客輸送を一手に引き受けていたこともあり、開業当初は順調な経営だったようです。その後、昭和6年(1931年)に京王御陵線が開業、翌年の昭和7年(1932年)には国鉄が浅川駅(現:高尾駅)まで電化し、東京から直通電車を運転したこと等によって利用客が減少し、おりからの昭和不況の影響もあり経営不振に陥ったようです。
昭和13年(1938年)3月には経営不振になった同社を京王電気軌道(現:京王電鉄株式会社)が買収し、路面電車は横山駅前と高尾橋の間を除いて廃止してしまいます。下の写真は京王御陵線武蔵横山駅跡です、今は散田架道橋となって、中央線と立体交差になっています、昔はここを京王線がオーバークロスしていました。
この時、同社のバス部門を引継いだのが京王バスの八王子営業所の始まりです。
同社の車庫をそのまま使ったので、当初の八王子営業所は並木町にありました。合併後の昭和14年(1939年)6月には残っていた横山駅前〜高尾橋も廃止になり、八王子の路面電車は開業から10年足らずで姿を消します。京王合併時に「武蔵中央電気鉄道」の従業員はみな京王に引継がれ、残られた方々は京王帝都電鉄(現:京王電鉄株式会社)で定年を迎えられています。
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最後は皆さん、京王電鉄様で定年を迎えられたのですね…。
どこかほっとするエピソードです。
ちなみに京王線の名前の由来は「東京と八王子を結ぶ」だそうです。
名残りの敷石
廃線とともに道路から撤去された敷石は、堅く良質な御影石でした。手ごろな大きさだったので、そのほとんどが再利用され、今でも市内のあちこちで見ることができます。身近なところでは、「八王子市郷土資料館」の入り口横に数枚。寺社などでも再利用されました。八王子市役所そばの多賀神社では鳥居の前や参道に、長房の長安寺や、陵南大橋そばの慈眼寺でも参道に使われています。写真は長安寺で使われている軌道の敷石です。敷石の拡大画像にはフランジ(鉄道車輪の縁の出っ張り)を避けるために「切り欠き」があります、これが路面電車の敷石だった証拠です
当時は希望者に配られたという事でしたので、個人で所有されている方も多いかもしれません。試しに身近なところで探してみました。
「店蔵」でご紹介した加島屋様は、かつて武蔵中央電気鉄道が通っていた甲州街道沿いのお店。今でも通路の置石として残されているそうです。
もし路線が残っていたら…
住まいは交通アクセスにより住み心地が大きく変わります。八王子の浅川を越える地域では、生活の足をバスに依存する場所が多く、雨の日など、駅に出るのが一苦労です。不動産屋としては、もし八王子に「ゆりかもめ」のような新都市交通機関があったらと、つい考えてしまいます。
残念なことに、武蔵中央電気鉄道の路線のほとんどは甲州街道。今もし残っていたとしても、バスの便と便利さは変わらないでしょうね…。というか、路線各駅はJRの駅に歩いて出られる場所ばかりです。やはり、廃線も止むなしか〜、などと秋晴れの空を見上げながら考えごと。
「お〜い、○○マンションのトイレで水漏れだそうだ!」
はい、はい、部長。今すぐ行きますとも。
せっかく気宇壮大なロマンに浸っていたのに…。
首都圏で増えつつある新都市交通についても、調べてみようと思います。
というわけで、当ブログ初の「次週に続く」。
取材協力:京王電鉄株式会社・京王資料館
八王子の通勤時間帯によく見られる風景です。
同じ甲州街道を、かって路面電車が走っていました。
武蔵中央電気鉄道とは
昭和4年(1929年)、今から79年前の11月。天皇陵完成に合わせて甲州街道に線路が引かれ、電車が走り出しました。東八王子駅を起点とする路面電車「武蔵中央電気鉄道」です。当初は、浅川駅前(現:高尾駅)~追分間の4Kmで、3年後の昭和7年(1932年)4月には全線が開通しました。
御高齢の方なら憶えていらっしゃるかもしれません。車両は都電荒川線の旧型車輛と同じ、一両編成のチンチン電車。路線全長8.4Km・全19駅。所有時間約30分で、当時の運賃は1区6銭・片道全線(4区)24銭だったそうです。コーヒー1杯10銭、岩波文庫20銭、お米一升(約1.5kg)50銭の時代です。今の物価に換算すると、1区180円、片道全線(4区)で720円くらいでしょうか。意外に高い。
その後、鉄道やバスとの競争に破れ、また商店街から騒音の苦情が出たりで、昭和14年(1939年)6月には廃止されてしまいます。八王子の路面電車はわずか10年の命でした。写真は、武蔵中央電気鉄道の乗車券の実物です。今から見ると、どこか懐かしい感じがするレトロなデザイン。
本線の路線は、現在の甲州街道上を走る18駅=東八王子駅前駅→新町駅→横山町駅→八日町駅→八幡町駅→追分駅→千人町駅→地蔵堂駅→ 横山車庫前駅→横山駅前駅→浅川新地駅→御陵前駅→浅川原駅→浅川駅前駅→川原宿駅→ 小名路駅→落合駅→高尾橋駅と、八王子駅までの支線として、横山町駅から分岐する八王子駅前駅がありました。全部で19駅。
計画路線は、八王子〜立川〜所沢を経て東北本線の大宮まで到達するというスケールの大きなものだったようですが、とうとう実現しませんでした。路面電車に乗って大宮までですか…。つらそう。戦前のことゆえ、今となっては駅の位置もはっきりしません。
京王資料館様にお聞きしたら、武蔵中央電気鉄道の19停留所は、その後バス路線と代替えしたので、現在のバス停の名前や位置と、当時の停留所がほぼ一致するはずとのアドバイスをいただきました。
武蔵中央電気鉄道の路線図を現在の地図上に重ねたイメージ図です。始点の「東八王子駅」は、当時明神町にあった現在の京王八王子駅です。旧・浅川駅は現在の高尾駅にあたり、廃線となった京王御陵線も入れてみました。(クリックで拡大)
なぜ廃線に?
武蔵中央電気鉄道の歴史を、京王資料館様に教えていただきました。
元京王電鉄広報課長で郷土史家の清水正之様が書かれた資料があるそうです。
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■武蔵中央電気鉄道の路線
開業区間 営業Km程 開業日
追 分 〜 浅川駅前 4.0Km 昭和4年 11月
追 分 〜 新 町 2.0Km 昭和4年 12月
高尾橋 〜 浅川駅前 1.8Km 昭和5年 3月
新 町 〜 東八王子 0.2Km 昭和5年 12月
横山町 〜 国鉄八王子駅 0.4Km 昭和7年 4月
「武蔵中央電気鉄道」の設立当初の社名は「高尾山電気鉄道」でした。その後「八王子電気鉄道」と改称し、最終的に「武蔵中央電気鉄道」になりました。他の資料を見ると、「武蔵中央電気鉄道」と「八王子電気鉄道」は経営主体が異なる別会社だったようですが、残念ながらこの部分の資料が私どもの所にはありません。
当の「武蔵中央電気鉄道」は、八王子まで京王線や当時の省線(旧国鉄・現JR)でやってきた多摩御陵の参拝客輸送を一手に引き受けていたこともあり、開業当初は順調な経営だったようです。その後、昭和6年(1931年)に京王御陵線が開業、翌年の昭和7年(1932年)には国鉄が浅川駅(現:高尾駅)まで電化し、東京から直通電車を運転したこと等によって利用客が減少し、おりからの昭和不況の影響もあり経営不振に陥ったようです。
昭和13年(1938年)3月には経営不振になった同社を京王電気軌道(現:京王電鉄株式会社)が買収し、路面電車は横山駅前と高尾橋の間を除いて廃止してしまいます。下の写真は京王御陵線武蔵横山駅跡です、今は散田架道橋となって、中央線と立体交差になっています、昔はここを京王線がオーバークロスしていました。
この時、同社のバス部門を引継いだのが京王バスの八王子営業所の始まりです。
同社の車庫をそのまま使ったので、当初の八王子営業所は並木町にありました。合併後の昭和14年(1939年)6月には残っていた横山駅前〜高尾橋も廃止になり、八王子の路面電車は開業から10年足らずで姿を消します。京王合併時に「武蔵中央電気鉄道」の従業員はみな京王に引継がれ、残られた方々は京王帝都電鉄(現:京王電鉄株式会社)で定年を迎えられています。
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最後は皆さん、京王電鉄様で定年を迎えられたのですね…。
どこかほっとするエピソードです。
ちなみに京王線の名前の由来は「東京と八王子を結ぶ」だそうです。
名残りの敷石
廃線とともに道路から撤去された敷石は、堅く良質な御影石でした。手ごろな大きさだったので、そのほとんどが再利用され、今でも市内のあちこちで見ることができます。身近なところでは、「八王子市郷土資料館」の入り口横に数枚。寺社などでも再利用されました。八王子市役所そばの多賀神社では鳥居の前や参道に、長房の長安寺や、陵南大橋そばの慈眼寺でも参道に使われています。写真は長安寺で使われている軌道の敷石です。敷石の拡大画像にはフランジ(鉄道車輪の縁の出っ張り)を避けるために「切り欠き」があります、これが路面電車の敷石だった証拠です
当時は希望者に配られたという事でしたので、個人で所有されている方も多いかもしれません。試しに身近なところで探してみました。
「店蔵」でご紹介した加島屋様は、かつて武蔵中央電気鉄道が通っていた甲州街道沿いのお店。今でも通路の置石として残されているそうです。
もし路線が残っていたら…
住まいは交通アクセスにより住み心地が大きく変わります。八王子の浅川を越える地域では、生活の足をバスに依存する場所が多く、雨の日など、駅に出るのが一苦労です。不動産屋としては、もし八王子に「ゆりかもめ」のような新都市交通機関があったらと、つい考えてしまいます。
残念なことに、武蔵中央電気鉄道の路線のほとんどは甲州街道。今もし残っていたとしても、バスの便と便利さは変わらないでしょうね…。というか、路線各駅はJRの駅に歩いて出られる場所ばかりです。やはり、廃線も止むなしか〜、などと秋晴れの空を見上げながら考えごと。
「お〜い、○○マンションのトイレで水漏れだそうだ!」
はい、はい、部長。今すぐ行きますとも。
せっかく気宇壮大なロマンに浸っていたのに…。
首都圏で増えつつある新都市交通についても、調べてみようと思います。
というわけで、当ブログ初の「次週に続く」。
取材協力:京王電鉄株式会社・京王資料館
by u-t-r
| 2008-11-18 23:34
| 八王子見て歩記