八王子周辺エリア/企画展示「蒼海わたる人々」

展示ホール(前編)
企画展示「蒼海(うみ)わたる人々」
東京都埋蔵文化財センター/展示ホール
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遺跡庭園「縄文の村」がある東京都埋蔵文化財センターは、屋内展示も充実しています。964か所もの遺跡が見つかった多摩ニュータウンでは40年間にわたり調査が行われてきました。3万2千年前の後期旧石器時代からはじまり、土器の発見から1万年以上続いた縄文時代。そして、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と、この丘陵に住んでいた人々の歴史。そして文化や知恵をたどることができます。ちょうどこの日は、企画展示「蒼海(うみ)わたる人々」の企画展示が開催されていました。考古学から見た東京の島々にはどんな歴史が秘められているのでしょう。

エントランス

展示ホールで出迎えてくれたのは縄文人の18歳の若者でした。麻の衣服に毛皮のコート、弓を構えた姿が凛々しいです。衣服の出土例はないそうなので、おそらくこんな感じだったのかなと復元された姿だそう。身長は155cmと、今の若者と比べると大分小柄です。(クリックで拡大)
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多摩ニュータウンで発掘された遺跡の場所がジオラマで展示されていました。黄色いピンが発見か所です。ありとあらゆる場所で見つかったんですねぇ。
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展示室の入口にあったのは「多摩ニュータウンのヴィーナス」。稲城市若葉台のNo.471遺跡から発掘された、縄文時代中期前半の大型土偶です。平成21年(2009年)にはイギリス大英博物館の「土偶 The Power of the DOGU」で展示されました。たかが土偶と侮るなかれ。イギリスのオークションで約1億9千万円で落札された縄文時代の遮光器土偶の例もあります。(クリックで拡大)
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もうひとつ。こちらは「丘陵人(おかびと)の肖像」と名付けられた、縄文時代中期前半の顔の土偶です。発見されたのは八王子市堀之内のNo.72遺跡。まるでお面のようにも見えますが、有孔鍔付土器の装飾として貼り付けられていたものと考えられています。なんだか、岡本太郎氏の作品にも似ています。才能は時代を超えるんでしょうね。(クリックで拡大)
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縄文時代、東京の島の遺跡

日本の最南端と最東端は東京都にあるのをご存知ですか。最南端は東京都心から1740kmの沖ノ鳥島・北小島。最東端は南鳥島の坂本崎で、都心から1,950km。いずれも民間人が上陸できない島です。現代でも離島へ行くのは大変なのに、エンジンもコンパスもない縄文人が海を渡れたはずがない?いえいえ、広大な太平洋を渡って行き来した証拠が、遺跡として島々に残っているんですよ。

展示ホールの壁側には常設展示、中央に企画展示「蒼海わたる人々」が陳列されていました。遺跡を取り上げた東京の島は、大島、利島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、北硫黄島の8島。開催期間は平成30年3月21日〜平成31年3月10日なので、間もなく終わってしまいますね。次はどんな企画を立てていらっしゃるんだろう。
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くらしを支えた黒曜石

黒曜石は、溶岩が冷えて固まった天然のガラスです。金属を持たなかった旧石器時代や縄文時代の人々にとって、割れ口が鋭い刃になる黒曜石は、槍先や矢じりを作る上で欠かせない石でした。その黒曜石の限られた産地のひとつが、都心から約170km離れた神津島にあります。ここ多摩をはじめ、関東各地の遺跡から神津島産黒曜石が見つかっています。そう。はるか海を越えて島から運ばれていたのです。
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今から約5千年前の縄文時代中期は、神津島産の黒曜石が盛んに利用された時代です。なぜ縄文人は命がけで神津島から黒曜石を運んだのでしょう。神津島産黒曜石には、砂糠崎と恩馳と2つの産地がありますが、特に恩馳産の黒曜石は不純物が少なく、良質であることが知られています。食料などの獲得を狩りに頼っていたこの時代、道具の良し悪しは、人の生死にも直結する問題だったのです。(クリックで拡大)
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あこがれのオオツタノハ

オオタツノハはカサガイ科の貝で、見た目はアワビに似ています。波の打ちつける荒磯に住み、岩からはぎとることもままならない貝ですが、表面を磨くとほかのどんな貝とも違う色合いになります。その貝殻で作られた腕輪(貝輪)は、縄文時代から珍重されてきました。弥生時代になると、組織的に生産され、広く流通するようになります。
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オオタツノハの貝輪製作の工程で生じた破片が見つかったのは、本州から175km離れた三宅島のココマ遺跡でした。弥生時代中期〜後期(約2千年前)の遺跡で、三浦半島の人々が漁期にやってきて岩場で貝を獲っていたキャンプ地だったと考えられています。貴重な貝の腕輪は東日本の各地の遺跡で見つかり、北海道まで流通していたことが分かっています。
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島の海産物加工

古代においても、島での主要な生業は漁撈でした。黒潮を回遊するマグロやカツオなど大型魚の捕獲や、塩づくりなど、人々は大自然を利用したさまざまな営みを展開してきたのです。八丈島の八重根遺跡からは、多数の炉跡と大量の土器が発見されました。出土した鍋形土器は、おそらくカツオを煮てかつお節を生産する時のものと考えられています。
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島の北西端の崖上の火の潟遺跡では、厚手で、熱を受けて表面が剥がれた土器が見つかりました。その特徴から製塩土器と考えられています。
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島の恵み、いただきます!

島の縄文時代の遺跡からは、動物や魚の骨、貝殻などが多く見つかっています。ウツボにコブダイ、ボウシュウボラやサザエ、どれも岩場で獲れるものばかりです。さらにはサメやイルカ、ウミガメなども見られます。豊富な海の恵みが、島の縄文人のくらしを支えていたのです。島の遺跡から、本来、伊豆諸島の島々には生息していないとされるイノシシの骨が見つかりました。さまざまな意見がありますが、どうやら縄文時代早期以降、人間の手によって島へ持ち込まれたことは確実と考えられています。(クリックで拡大)
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火山に祈る

島々では、古代から特徴的な神まつりが行われてきました。その地理的な特性から、火山噴火に関わるまつりは、島に暮らす人々にとってはなくてならない、とても大切な行為だったのです。いたる所に土器が据え置かれ、いずれもその場で打ち割ったような状態で発見されました。命がけで本土から持ってきた貴重な土器を惜しげもなく神に捧げた背景には、火山の噴火そのものを神の力として畏れて、島の平穏を祈るため、日々まつりを行っていただろうと考えられます。(クリックで拡大)
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黒潮をまたにかけて

島では、海を越えたさまざまな地域の土器が出土します。例えば、縄文時代前期〜中期(約5千〜5千500年前)の集落遺跡の倉輪遺跡からは、関東・中部をはじめ、東北、近畿、東海、北陸などの土器が発見されています。土器を島にもたらした人は、さまざまな情報も伝えたことでしょう。こうした営みが繰り返されることによって、黒潮を介した壮大な交流が生まれました。
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危険と隣合わせの航海

展示されていたのは、今から200年前の江戸時代末頃。神津島沖で難破した船の積み荷の一部です。発見された擂り鉢、硯、石臼、やきものなどが、いずれも関西地方の産物と考えられることから、沈没したのは大阪周辺から江戸に向かっていた千石船と考えられています。蒼海わたる人々は皆、航海の安全を祈って臨んだことでしょう。しかし、仮に願いが届かなかったとしても、人々は強い覚悟を胸に、海に挑み続けてきたのです。
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はるか南洋を越えた人々

東京から約1,300kmの太平洋上に浮かぶ小笠原諸島硫黄島。この島の石野遺跡で出土した数々の土器や石器は、他の遺跡調査ではおおよそ見ることのできない南方系文化の特徴を持っていました。しかもそれらは、年代測定により約1,900年前(弥生時代に相当)のものとされたのです。このことは、東京の島々がはるか昔から、遠く南洋ともつながっていたことを物語っています。
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蒼海(うみ)わたる人々

エンジンもコンパスもなかった時代。どのようにして数千kmもの大海原をわたることができたのでしょう。そのヒントのひとつがミクロネシアのマーシャル諸島にありました。コンパスや測量機器がまだ存在していない時代。海を安全に渡るために、枝と貝殻を組み合わせて作られたのがスティック・チャートと呼ばれる海図です。(クリックで拡大)
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スティック・チャートは、海流などを表わす細い木材を縦横に組合わせ、島の位置にはタカラガイを結びつけています。ヒモだけ残っている部分もあることから、当初はさらに多くの情報が示されていたのでしょう。現在の海図のように正確に海の地形を表したものではありませんが、島と島を繋ぐには必要十分な情報が詰まった素晴らしい海図だったのだと思います。この海図は、帆船模型とともに、高松宮家から旧学習院に下賜されたものです。
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約100年前に作られたマーシャル諸島共和国ジャルート環礁地域の大型アウトリガーカヌーの模型です。この模型は、戦前の南洋庁ヤルート支庁から高松宮家に献上された後、昭和11年(1936年)に旧学習院歴史地理標本室に下賜された貴重な民俗資料です。(クリックで拡大)
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推定縮尺は、1/10〜1/20で、長期の航海も可能とするタコノキ製の倉庫や敷物などを備えています。また、タコノキの葉を編んで作った帆には、連続する三角形の装飾が織り込まれていることから、首長などが用いる船がモデルだったと考えられています。(クリックで拡大)
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企画展示「蒼海わたる人々」を見終わって、次回は常設展示コーナーを順にご紹介します。

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入口に立っていた縄文人クン。プロフィール紹介の説明プレートがおもしろい。学芸員さん、ノリノリです。
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取材協力:東京都埋蔵文化財調査センター

東京都埋蔵文化財調査センター展示ホール(3話)
前編:企画展示:蒼海わたる人々(当記事)
中編:常設展示:縄文時代〜弥生時代〜古墳時代
後編:常設展示:奈良時代〜鎌倉時代〜江戸時代〜体験コーナー

遺跡庭園「縄文の村」(2話)
前編:小田急多摩センター駅〜縄文の村〜復元住居A棟
後編:復元住居C棟の火焚き〜復元住居B棟〜竪穴住居の模型〜湧水

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by u-t-r | 2019-02-05 16:00 | 八王子周辺エリア

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「直接ご本人に会ってお話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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