八王子周辺エリア/遺跡庭園「縄文の村」(後編)

遺跡庭園「縄文の村」(後編)
復元住居C棟の火焚き〜復元住居B棟〜竪穴住居の模型〜湧水
東京都埋蔵文化財センター/屋外展示
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この日は復元住居C棟で火焚きが行われていました。係の方に「大切な展示物の中で火を使えるんですか?」とお聞きしたら、「いや、かえって何もしないと建物が傷んじゃうんですよ」とのこと。そういえば、小田急線「向ケ丘遊園」近くの川崎市立日本民家園でも、古民家の囲炉裏に火を入れてお湯を沸かしてましたっけ。人が住んでいない家は、傷むのが早いもの。縄文時代の家も変わらないようです。

縄文時代の森

順序からいえば、A棟〜B棟〜C棟と回りたいところですが、A棟とC棟の間には当時の森を再現した「縄文時代の森」を通る園路があります。森の道を歩いていきましょう。

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稲作文化が伝わる前の縄文人にとって、森は生活をする上で重要なところでした。春は山菜、秋は木の実や山芋などの採取。冬はシカやイノシシなどの猟りに明け暮れ、また、日々の暮らしの道具の材料から住居の建築材まで、多くのものを森に求めていました。遺跡庭園には約50種の樹木を植えて、その当時の森が再現してあります。
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歩いてほんの2〜3分で、森の中に竪穴住居が見えてきました。復元住居C棟です。
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竪穴復元住居C棟

縄文時代の竪穴住居の平面形は、時期や地域により違いがあります。C棟は、鉄塔東側で発見された縄文時代中期後半(今から約4,500年前)の住居跡をモデルにして復元しました。住居は5.3m×4.8mの大きさで、やや楕円形をしています。入口部には死産した新生児などを葬ったと考えられる土器が埋められていました。(クリックで拡大)
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屋根の煙抜きから青白い煙が立ち上っています。C棟はこの日、火焚きをやっていました。(クリックで拡大)
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ぐるっと回って竪穴住居の入口へ。囲炉裏の火がチロチロ燃えているのが見えます。
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中で火を使うには火の番をする方がいらっしゃるわけで。中を見学させていただきながら話しがはずみました。冒頭に書いた川崎市民家園のスタッフが訪問されたこともあるそうです。「ウチでも火焚きをやってますよ」と言っていたそう。
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換気扇がない屋内で焚き火をすると、モクモクと煙が立ちこめてしまうわけで。煙抜きから少しずつ排出されるもの、煙いのなんのって!火棚には魚や獣の肉などを置いて薫製にしてたんでしょうかねぇ。
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それでも、丸太のイスに座ると、煙の下になるのであんまり煙くないです。というか、外は北風で厳しい寒さなのに、家の中はほんわり暖かい!「だろう?」と係の方。なんでも、この復元住居は築34年にもなるそうですよ。火焚きで燻すことによって、ここまで長持ちしたんでしょうね。
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復元住居跡

復元住居C棟の近くにあるのが、竪穴住居の模型です。No.57遺跡の発掘調査後に、盛り土をして発見当時の竪穴住居2軒分の様子を模型で再現してあります。中央には炉があり、まわりの柱が立っていたと思われるところには、実際に短い柱が建ててあります。
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向かって右側の住居跡。縄文時代の敷石住居ですね。現在私たちがよく見る茅葺きの縄文竪穴住居は、後世の想像によるものです。発見された時の姿は、このように凹みと敷石や囲炉裏の跡だけなので、実際にどんな姿だったかは、まだよく分かっていません。(クリックで拡大)
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向かって左側の住居跡には砂が敷きつめられていました。この模型の下には縄文人が住んでいた竪穴住居が発見当時そのままの姿で眠っています。(クリックで拡大)
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竪穴復元住居B棟

復元住居住居C棟の真向かいに建っているB棟は、縄文時代前期(6,500年前)の住居を発掘当時の位置に復元しました。床の長辺7m、短辺4.5mで、南北に長い長方形で、床面積約30m2とかなり広くなっています。竪穴の形状はその後円形に変わり、後期中頃(今から約3,800年前)には再び方形となります。(クリックで拡大)
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屋根が何で葺かれていたかは、はっきり分かっていません。最近の発掘調査では、土をかぶせた土屋根もあったことが分かってきています。屋根を押さえるため、頂部には土を乗せ、草をはやしています。やはり、入口は1か所だけですね。外敵の侵入を防ぐため入り口は狭くなっています。
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柱の材料は丈夫で腐りにくいクリの木が使われていました。中央に火を焚いた炉があり、家の中には4〜5人が住んでいたようです。
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いくらなんでも、土間に雑魚寝じゃ寒いだろうと思っていたら、床にヤマブドウやフジ、アケビなどの植物の蔓や樹皮を編み込んだ敷物や、動物の毛皮などが敷かれていたと考えられているそうです。
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湧水

復元住居B棟の北斜面を降りると、小さな谷に湧水をためる小さな水場が作られています。この湧水は、江戸時代から続く農家の生活用水として最近まで使われおり、枯れることがなかったそうです。おそらく、ここに集落を残した縄文時代の人々も、この湧水を利用して生活を営んでいたことでしょう。(クリックで拡大)
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昭和後期まで実際に水が湧きだしていたそうですが、色々な建物ができるにつれて残念ながら枯れてしまいました。
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見学が終わって園路を歩いていたら、まるで道案内をするかのようにキジバトが先に立ってくれました。よかったね、きみたち。縄文時代だったら食べられてちゃってたよ。三内丸山遺跡からも骨が見つかってるし。
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取材協力:東京都埋蔵文化財調査センター

遺跡庭園「縄文の村」(2話)
前編:小田急多摩センター駅〜縄文の村〜復元住居A棟
後編:復元住居C棟の火焚き〜復元住居B棟〜竪穴住居の模型〜湧水(当記事)

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by u-t-r | 2019-01-29 16:00 | 八王子周辺エリア

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