八王子見て歩記/船田古墳

団地のまん中にある古墳
船田古墳/長房町
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船田石器時代遺跡を撮影に行った時に、ついでに船田古墳も撮っちゃおうと思っていたのです。現地に行けば何とかなるだろーと軽く考えたのが失敗の元。すぐ近くにあるはずなのに見つかりゃしない。「船田古墳」で地図検索しても候補が出てきません。再度郷土資料館様に伺って住所を確認。日を改めてもう一度行くことになりました。今回も路線バスで行ってみます。本当に団地の中に古墳があるんだろうか。。

「長房センター」バス停へ

北大谷古墳の所在地は八王子市長房町、長房団地の南側です。GoogleMapで調べても地番が表示されませんでした。路線バスは、京王八王子駅やJR八王子駅からも出ていますが、今回は西八王子駅北口発を選びました。最寄りバス停は「西八王子駅」から5停留所目の「長房センター」です。3番乗場から西東京バス「長房団地行き(長83)」を利用して乗車時間約14分、運賃は170円です。このバスがね。日中は1時間に2本しか発車していなかったのです。だからお二人しか並んでいなかったのか〜。やはり、行く前にちゃんと下調べしないとだめですね。
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ガラガラだし。。
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西八王子駅から甲州街道に出て、桑志高校と富士森高校の前を通って。あっという間に「長房センター」バス停。長房団地の東側、長房商店街の前です。
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団地の中を船田古墳へ

行く前にGoogleMapで調べたところ、バス停から2つ目の角を左です。ここだな?楽勝♪楽勝♪
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で、迷子になりました。突き当たりの駐車場に着いちゃうし。。
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あの植え込みはきっと!と思ったら、団地のはずれだし。
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戻ろうと思ったら、あちこち通行止めだし。
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仕方がないので、山勘を頼りに団地の中を歩いていきました。裏手を通り、駐輪場を通り。
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裏側〜裏側を通り、15分かかって船田古墳着。団地の中の道路が工事中で、進入禁止の場所がいくつもありました。行かれる前には地図を印刷しといた方がいいです。
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船田古墳のある公園

道路工事や区画工事の影響か、船田古墳のある公園も正面入口がありませんでした。公園名称も表示されていません。「車輛侵入禁止」のフェンス側から入ってみることにします。
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公園の道路側は低いフェンスで区切られています。
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団地に面した奥側にはゲートボール場のような空き地。
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まず園内をぐるっと一周してみることにしました。船田古墳は八王子市の遺跡番号463番に登録されている古墳です。 どこかに説明板があるはず。
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空き地の南側に説明板が建っていました。
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説明板を読んでみると、この空き地こそ古墳そのものだったのです。

船田古墳
この地区は、都営長房団地の造成に先だって昭和46年(1971)8〜9月に先掘調査されました。この古墳はその際に発見されたもので、墳丘が削平されていたため、古墳があることは知られていませんでした。
直径14m、幅約1mの周溝をめぐらした小規模な円墳です。中央部に長さ4.7m、幅2.7mの河原石を積んだ石室があり、この部分に遺体を埋葬したものです。過去に盗掘されたらしく、副葬品は残っていませんでした。
この古墳は、7世紀前半ころに築かれたと考えられています。
現在この古墳は保守のために埋めもどしてありますので、その場所がわかるように色の違う石を並べてあります。

(クリックで拡大)
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古墳の全景です。茶色の丸くなっている部分が墳丘址。船田古墳は、盆地西寄りの船田丘陵上に展開した古代集落遺跡の船田石器時代遺跡中にある古墳です。
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中央の色が変わった部分が石室のあった場所です。
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石室の大きさは、長さ4.7m、幅2.7mだったそうです。
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船田古墳の発見と発掘調査

昭和46年(1971年)の発掘調査の時の写真が説明板に掲載されていました。古墳は船田遺跡を調査している時に見つかったそうです。すでに墳丘は失われていますが、古墳の特徴である石室と周溝が見られます。(クリックで拡大)
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石室素材は北大谷古墳と同じく軟質の砂岩で、楕円形の河原石を小口に積んだ「河原石積横穴式石室」です。浅川〜多摩川流域で発見される古墳はみな、川から採れる砂岩で石室が築造されているそうです。遺骸頭部を北に向けて埋葬しているのは、大陸からの思想的影響と考えられています。(クリックで拡大)
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墳丘の大きさは直径14m、幅約1mの周溝を巡らせた小規模の円墳です。(クリックで拡大)
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船田石器時代遺跡との位置関係

前回は場所が分からなかったため、遺跡と古墳の2回撮影に来ることになってしまいましたが、2つはすぐ近くにあるんです。見学に行かれる方向けに地図を掲載いたします。(クリックで拡大)
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当時は誰でも好きに古墳を建てられたわけではなく、大化2年(646年)に定められた「大化の薄葬令」と呼ばれる墳墓造営規定を基準としています。冠位十二階に基づく身分秩序に従って、王以上、上臣(じょうしん)、下臣(かしん)、大仁(だいじん)・小仁(しょうじん)、大礼(だいらい)〜小智(しょうち)、庶民までの六段階に分け、墳丘は三段階、墓室は二段階に区分されています。このうち墓室は王以上と上臣で幅五尺・長さ九尺の規模、下臣と大仁・小仁で幅四尺・長さ九尺の規模と規定されました。
古墳時代は三世紀半ばから七世紀代までの約400年間続きます。八王子が位置する多摩川上流域の古墳築造の最盛期は古墳時代終末期でした。

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取材協力:八王子市郷土資料館
参考資料:新八王子市史 通史編1 原始・古代

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by u-t-r | 2018-03-06 16:00 | 八王子見て歩記

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「現地で直接お話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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