八王子見て歩記/街の自転車屋さん(前編)

前編:八王子の街とともに67年
山形屋商会/八王子市八木町
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八王子市の中心部を走る甲州街道は江戸五街道の1つで、歴史は古く戦国時代にさかのぼり、日本橋から内藤新宿、八王子、甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と合流するまでの間に38の宿場が置かれていました。中でも八王子は街道中最大の宿場町で、十王堂宿(新町)、横山宿、八日市宿、本宿、八幡宿、八木宿、子安宿、馬乗宿、小門宿、本郷宿、上野(上野原)宿、横町、寺町、久保宿、嶋坊(嶋野坊)宿が連なり、八王子十五宿(八王子横山十五宿)と呼ばれました。江戸城陥落の際に甲府までの将軍の避難路として使用されることを想定して造成されたといいます。八王子にお寺さんが多いのも、砦用に多くの寺院を置き、その裏に同心屋敷を連ねたからだそう。

そんな甲州街道(国道20号)の追分近くに街の自転車屋さんがありました。今年で創業67年になる山形屋商会様です。八王子の街でどのように過ごされてきたのでしょうか。店主の小岩井様にお話しをお聞きしてきました。

創業のころ

「山形屋」という店名からお客様に「東北のご出身なの?」とよく聞かれるんですよ。屋号は父方の義父の名前からいただきました。私と父は生まれも育ちも生粋の八王子っ子。小岩井家のご先祖様は北条氏照が城主だった滝山城の侍大将であったそうです。といっても、父は8人兄弟の末っ子。本家はあきる野市雨間にあるので、場所も血筋もちょっと離れた末っ子という感じ。
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当店の創業は昭和23年(1948年)7月23日です。まだ連合国(GHQ)の占領下だった日本、3日前の20日には国民の祝日に関する法律が施行されました。29歳の父は八木町で自転車屋をはじめることにしたのです。ですから私で二代目。当時の八木町には68ものお店があったんですよ。甲州街道は横山町から追分町まで町のほぼ中心を貫いて八王子市の中心市街を成していました。八王子の街が甲州道中の宿場を中心に発展してきたゆえなんでしょうね。
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今はスーパーやディスカウントストアでも自転車を売ってますでしょ。あれは、メーカーが出荷する段階で組立て済みだったり、あるいは半完成品で出すようになってからです。昭和35〜36年(1960〜61年)ころまでは、スポークやリムに至るまでバラバラな状態で木箱に4台分入って納品されていました。これを熟練の自転車屋は1時間半くらいで1台組み立てちゃう。

まだ原付もなかったころですから、お店の出前や配達もみんな自転車でした。タイヤが太くて、ブレーキも今のようなワイヤじゃなくてロッド式でね。無骨で頑丈そのものといった風情。自転車<実用車<運搬車といった種類がありました。
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修行時代

私が家業を継ごうと決めたのは中学校卒業のころ。夜学に4年間通いながら父を手伝って仕事を覚えていきました。見よう見まねってやつです。自転車の組立てや修理を学べる場は実際のお店しかありません。だから、自転車屋によって仕事のスタイルはまちまちなんですよ。卒業後は26歳までの8年間、青梅の自転車問屋さんで修行しました。そのころだったかな。甲州街道沿いにアーケードができたのは。商店街の目玉として建てられたのですが、この頃は老朽化が目立ち、店舗の減少などから撤去が進んでいます。

当時はお店屋の後継ぎは外に修行に出るものでした。お肉屋さん、魚屋さん、染物屋さん、みんな同じだったでしょうね。今でもあまり変わらないと思います。お世話になった問屋さんはまだ設立2年目で、社長、奥さん、私の3人で多摩地区をまわっていました。五日市、青梅、福生、津久井、相模湖、上野原、立川、府中、橋本が商圏でした。朝一番にどこを回るか打合せ。八王子コース、府中コース、上野原回り、五日市回りの4つがありましたね。トラックの荷台に自転車を満載して自転車屋さんに売りに行くのです。
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今でもそうですが、自転車は現物買い取りの現金商売です。納品した自転車を売り掛けにして、月末に現金でお支払いです。1年に1,000台も売る自転車屋さんがありましてね。トラックから降ろしたついでに手伝っていけと言われて、父の店ですでに仕事を覚えていた私は、組立てや修理をよく手伝わされました。何件もの自転車屋さんを回ると、店によって仕事のやり方が違うのに気がつきます。これも修行のメリットなんでしょう。

自転車問屋さんには約50坪の倉庫がありましたが、満杯に仕入れた自転車が1か月もたつと空っぽになっちゃう。そのくらいよく売れたものでした。昭和53年(1978年)には第二次オイルショックが起きます。原油価格の高騰とともに需給が逼迫し、わずか4年でガソリン代が109円から172円まで値上がりしました。自転車はガソリンを使わないだろうって?そりゃそうなんですが「オイルショックでタイヤがなくなるかもしれない」という噂が立ったのです。律儀だった問屋さんの社長は、便乗値上げすることもなく、在庫を予約順にお店に納めていきました。その後、少し状況が好転した時に山ほどタイヤを仕入れましたが、3か月はさばけなかったですね。商売は本当に難しい。
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店を継いで

修行が終わって店に戻ったのは昭和54年(1979年)26歳の時でした。初めてのお客様はカゴの交換でしたね。慣れているはずの簡単な作業に手が震えてしょうがなかったことを憶えています。あぁ、自分の店なんだなと緊張して。
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店を継いだ時の父はまだ60歳。最初は二人で店に立ったのですが、1年目は父を指定するお客様が多かったのを憶えています。「親父さんはいないのか?」って。2年目にはほぼ一人で切り盛りしてました。「せがれはいないのか?」と何度も聞かれた父は、仕舞いには「店はまかす」と言って引退。私が店を継いで4年後に父は亡くなりました。
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昭和60年(1985年)ころは、店内にバイク8台・自転車80台もの完成車を置いていたものでした。ペダルを外し、ハンドルを折り畳んでコンパクトに陳列するのですが、さすがに入りきれないので、1段目の上に段ボールを敷いて2段積みです。開店時間になると1時間かけて店頭に並べました。
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店主一人の店で年間売上げ目標は800台。販売と同時に修理の仕事も発生するものですから、メーカーさんには「一人では500台が限界ですよ」と言われました。それだけの数お買い上げいただいていても、自分が組んだ自転車は一目で分かるのです。ブレーキワイヤの取り回し、各部のネジの締め具合なんかでね。工場組立てのままだと、ネジが曲がっていたり、締め付けがきつ過ぎたりするものなんです。
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自転車保有台数は、当店創業の昭和23年(1948年)当時800万台だったのが、昭和36年(年)には2千万台を突破、昭和46年3千万台、昭和49年4千万台、昭和55年5千万台、昭和62年6千万台、平成3年7千万台、平成10年8千万台と推移してきましたが、平成16年以降、少しずつ減少しています。最近は自転車の出荷台数が減っています。自転車屋で20%減、スーパーやディスカウントストアでも10%減です。飽和状態に達した成熟市場になったんでしょうね。
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実は、店を継いだ若い頃、店の名前を横文字にしようと父に相談したことがあります。Cycle Shop Koiwaiのように。しばらく考えた父は「いや、このままにしよう」と。今となっては、若気のいたりで変えなくてよかったと思いますね。
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街の自転車屋さんが侍大将のご子孫というのは八王子では珍しい話ではありません。ほかにも雑貨屋さんは御殿医、ブルーベリー農場主が槍兵、地主さんは刀鍛冶。八王子城の曲輪にご先祖様の名前が残っている方もいらっしゃいます。

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取材協力:山形屋商会/八王子市八木町4-4(甲州街道追分交差点近く)
TEL.042-623-5011

街の自転車屋さん(2話)
前編:八王子の街とともに67年(当記事)
後編:御神輿と自転車と

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by u-t-r | 2015-09-29 16:00 | 八王子見て歩記

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「直接ご本人に会ってお話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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