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夜店の思い出:第一話「懐かしの屋台」
昭和の子どもたちとお祭りの屋台
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今年の八王子まつりは快晴に恵まれて、8月7日〜9日の3日間で77万5千人もの方が来場されたそうです。山車巡行やぶっつけ、神輿渡御も勇壮だけど、子どもたちがワクワクしてしまうのは、なんといっても夜店の方でしょう。甲州街道沿いの歩道に夜店約250店が並んで、イカ焼きや焼きそばの香ばしい食欲を誘う匂い、ピカピカ光るLEDのおもちゃ、くじ引き。お母さんの声があちこちから聞こえてきます。「もうこれでおしまいよ!」

夜店は世につれ…

ふと気がつくと、夜店の商品もずいぶん変わってきたようです。お面屋さんの商品も人気のキャラクターものが中心です。昔は必ずお相撲さんやおかめ・ひょっとこがあったのにね。いや、でも、子どものころはなんであんなものが欲しかったんだろう。
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まゆ玉コロコロ

平成になって27年、かつては縁日オモチャの定番であったものの、すっかり見かけなくなったものもあります。たとえば「まゆ玉ころがし」。まゆ玉の中に小さな重りが入っていて、木でできた3段の坂道をコロコロ・ゆらゆら、不思議な動きで転がるおもちゃです。初期のボールは本物の繭玉でできていましたが、その後はプラスチック製に。今では作っているのは山形県のつたや物産様1社だけです。
→つたや物産「まゆ玉コロコロ」
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カルメ焼き

カルメ焼きもあまり見なくなりました。グツグツ煮えたザラメ糖の小さな鍋、撹拌棒の先にちょっと魔法の粉をつけてかきまわすとふうわり膨らむ不思議なカルメ焼き。おじさんの鮮やかな手つきに子どもたちは夢中になったものです。材料は分かっているのに、家で作るとなぜか膨らまない。職人芸だったんでしょうね。
→YouTube「カルメ焼き」
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あんず飴

果物に割り箸を刺して水飴をからめたあんず飴。大きな氷に凹みをつけて冷やしています。あんず飴とはいうものの実際はスモモの酢漬け。最近ではミカン、パイナップル、イチゴ、ブドウなど果物の種類も豊富になりました。東日本ではポピュラーな屋台菓子です。
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飴細工

江戸名残りの飴細工は私たちの父母の世代からある由緒ただしい屋台です。その発祥は享和元年(1801年)に大阪で生まれました。飴といっても砂糖から作るのではなく、原料はでんぷん。35度くらいまでなら溶けません。職人さんの数も少なく、イベントの時でもないと滅多に見られません。
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江戸時代にはこのような光景であったはず。「行ってきま〜す!」と外に出ようとすると、お母さんに妹や弟を背負わされる。子守りです。屋台に群がるのは女の子ばかりなり。※ロバート・フレデリック・ブルーム画「飴屋」1893年(クリックで拡大)
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しょうのう(樟脳)船

大きな金だらいの上をスイーーッスイーッと走る色鮮やかなセルロイドの小船。動力がないのに水面を走る不思議。その秘密は小さくカットして船尾に付けた樟脳にあります。船後方の水面に樟脳の成分が拡がり、表面張力の差によって前方に引っ張られて船が進むのです。まっすぐ走るだけでなく、急に曲がったり時として予測できない動きもします。昭和40年代(1970年代)までお祭り屋台でよく売られていたおもちゃでした。
→柴崎商店「しょうのう船」
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虫売り

キリギリスやクツワムシ、スズムシを細い竹ヒゴで作った虫かごに入れて売っていたのが虫売りです。最近はまったく見かけなくなりましたね。虫かごは値段によってシンプルな箱形のものから、高くなるにつれ家の形、屋形船など色々な形があり、まるで工芸品のようでした。虫と虫かごはセットで売っていたものです。日本人は「虫の音」と呼びますが、西洋人にとって虫の音は、単なる騒音に過ぎないようです。夏場に来日された観光客はアブラゼミの音量にびっくりするとか。
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吊り(釣り)しのぶ

野生のシダ植物の忍(しのぶ)を植えつけて、コケ玉のようにしたものに風鈴が下がっている夏の風物詩です。涼しげな風情のシダと風鈴のチリンチリンという音色は、まだエアコンが普及していなかった夏を過ごしやすくしてくれました。安価なものは井桁形ですが、高くなると屋形船とか月のかたちとか段々凝ってくる。本格的に苗から育てると栽培期間は、なんと5年半もかかるそうです。
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ガマの油

ちょっと見、山伏か神主さんのような衣装を着た人が日本刀片手に口上をはじめます。

さあー!さあー!お立ち会い!
ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで

さて!お立ち会い!
手前ここに取りいだしたるは筑波山名物ガマの油
ガマと申してもただのガマとガマが違う!
これより北、北は筑波山のふもとは、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ
四六五六はどこで見分ける
 前足の指が四本、後足の指が六本合わせて四六のガマ
山中深く分け入って捕いましたるこのガマを四面鏡ばりの箱に入れるときは
ガマはおのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラ〜リタラ〜リと油汗を流す

これをすきとり柳の小枝にて、三・七・二十一日間
トローリトローリと煮つめましたるがこのガマの油


すかさず日本刀で和紙を切りはじめます。

取り出したるは夏なお寒き氷のやいば
1枚の紙が2枚、2枚の紙が4枚、4枚の紙が8枚、8枚の紙が16枚
16枚が30と2枚、32枚が64枚、64枚が一束と28枚
ほれこの通り、ふっとちらせば比良の暮雪は雪降りのすがた

これなる名刀も一たびこのガマの油をつける時はたちまち切れ味が止まる
押しても引いても切れはせぬ
と云うてもなまくらになったのではない
この様にきれいにふきとるときは元の切れ味となる


で、この後、購入タイムになるわけです。一人二人と買いはじめるお客さんたち。実は演技に使う日本刀、刃のある部分となまくらの部分を使い分けているのです。特に使う予定はなかったけど欲しくてねぇ。ガマの油。もちろん親は買ってくれませんでした。
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見世物小屋

祭りの一角に奇妙な雰囲気の小屋がある。入口には幕がかかっていて、中の様子は隙間から見える観客の表情と、かすかに漏れて聞こえる声からしかわからない。「ろくろ首」だの「へび女」だのが大きく書かれた看板が恐怖心を誘います。戦前の話しじゃありませんよ。昭和40年代まで八王子でもお祭りの時には見世物小屋が建ったんです。
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日本の東西でも夜店の種類は変わってくるようです。例えば焼きそばの麺を乗せる広島焼きが関東で見られるようになったのは、うろ覚えですがここ30年くらいのはず。関東ではむしろもんじゃ焼きの方が歴史があります。かつて渋谷にあった広島焼き屋さん。バイト募集の張り紙に「ただし、広島弁をマスターすること」とありました。「広島のお好み焼き」というこだわりがあったそうな。
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夜店の思い出(3話)
第一話:懐かしの屋台「昭和の子どもたちとお祭りの夜店」(当記事)
第二話:金魚すくい「男の子を引きつけて止まない釣りもの」
第三話:地域限定「地方色豊かな食べもの屋台」

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by u-t-r | 2015-09-01 16:00 | つぶやき

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「現地で直接お話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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