八王子見て歩記/松の湯-5

昭和時代思い出の銭湯
松の湯(八王子市小門町)/第5話
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銭湯の壁面にどーんと描かれた巨大な富士山。広い風呂につかりながら雄大な風景画を堪能できる銭湯の醍醐味です。ペンキ画といいますが、はじまりは大正時代、東京神田の猿楽町にあった銭湯「キカイ湯」と伝えられています。裸のブリキ板では寂しい、何か子供が楽しめるものはないかと考えたのが発端でした。絵師はこの大きな絵をわずか2時間で描き上げてしまうというからすごい。今となっては懐かしいこの芸術は銭湯の衰退とともに激減してしまい、現在ではわずか2人しかペンキ絵師が残っていません。

松の湯様から昭和時代の思い出が蘇る当時の貴重な写真をお借りできたのでご紹介します。写真右下に「88 2 25」と読めますね。1988年(昭和63年)の2月25日、この懐かしい昭和の銭湯は姿を消し、今の近代的な松の湯に変わったのです。今回はあえて日付を消さないで掲載しました。

重厚な外観

日本を訪れた外人さん、夕刻になると人々が毎日欠かさず宗教施設らしい建物にお参りするのを見て大変驚いたそうです。「参拝した人はみな満足げな微笑みを浮かべながら帰っていく」、「なんて信仰心の篤い人たちなんだろう」。どこで読んだ話しかとんと忘れてしまいました。どの街にもある宗教施設のような建物、それは銭湯だったのです。大型の唐破風(からはふ)や、脱衣所の折上格天井など、確かに銭湯と神社仏閣には構造上の共通点が多いですよね。
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土壁の松文様は鏝(こて)細工でレリーフ状に浮き上がっていました。入口横に懐かしいハイシーの自販機です。キャッチフレーズは「太陽の園から… おいしいフルーツドリンク」。風呂上がりのコーヒー牛乳を我慢してても、ついつい買ってしまう…。
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番台

下足番入ってすぐが番台で、ここで入浴料を払って入場します。番台は男湯と女湯両方を一人でお世話できる便利なしくみだったんです。銭湯に行き慣れていない若い子が恥ずかしがっちゃってねぇ…。今ではどこもホテルのようなカウンター式に。入浴中に貴重品を狙う犯罪を「板の間荒らし」と呼んでいましたが、番台には大きな抑止効果がありました。少し明るい板はかさ上げのため追加したものだそう。背の高い人が増えて、隣が丸見えになってしまうものですから。
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脱衣室

70年代に一世を風靡した往年の名作TVドラマ「 時間ですよ」の舞台は銭湯でした。当時の脱衣室はちょうどこんな感じ。島型ロッカーが懐かしい。
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脱衣室の天井は木を格子状に組んでそこに板を張った折り上げ格天井(ごうてんじょう)。今では神社仏閣でしか見られない様式です。銭湯のはじまりはお寺の施湯(せゆ/ほどこしゆ)。民衆に浴室を開放して入浴を施すことからでした。外人さんが宗教施設と思ったのはあながち間違いではないようですよ。
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古き良き銭湯には待合室に面して池がありました。今は女湯の露天風呂になった場所です。涼しげな植栽、金魚や錦鯉が泳いでいてねぇ。湯上がりで火照った身体を夜風で冷ましたものです。
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東京の夏は今より暑くなかった記憶があります。都心部でも夕方になると涼しい風が東京湾から入ってきました。舗装、コンクリートの建物、室外機の熱気、湾岸に高い建物が建ってから今のような暑苦しい夏になったのです。写真のマッサージ椅子は女湯2階の休憩室で現役です。
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カラン

改装前の女湯カランです。今と違ってシャワー栓がありませんね。最盛期には1つのカランを2〜3人で仲良く使っていました。そのくらい利用者が多かったんです。女湯で髪を洗う時は別途「婦人髪洗料」がかかり、料金を払うと洗髪札と足のついた髪洗い桶を渡されました。洗髪料は男性の長髪が増えるにつれていつの間にかなくなっていきました。
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浴室を上から見た珍しい写真。銭湯のオーナーじゃないと撮れないアングルです。浴槽にかかった黄色いカバーはお風呂を沸かす時の保温カバー。開店前に片付けますから、皆さんがご覧になることはないでしょう。
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ペンキ絵とタイル絵

浴槽の壁には豪華なペンキ絵とタイル絵です。このタイル絵、1枚1枚を貼り合わせていますが、全体で1つの絵になるように作られたものです。テレビの鑑定番組に登場した時、数百万円の評価を受けたものもありましたね。近所のお店の広告看板が懐かしい。脱衣室の鏡の上にも行灯広告がありましたっけ。
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上を見上げると巨大なペンキ絵。湖や海などの水辺、富士山、松の木がお約束です。2年に1度、絵が描き変えられる時は銭湯に行くのが楽しみでした。今度はどんな絵になるんだろ。
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コインランドリー

日本のコインランドリー発祥の地は、北区の銭湯「加賀浴場」でした。ここ八王子では松の湯が最初だそう。お湯・水に不自由しないし、皆さんが毎日入浴に来る便利な場所だったからでしょうね。当時のコインランドリーは入口に面していました。男湯からは通用口を通って洗濯機を見に行ける。時々、腰に手ぬぐいだけ巻いた裸の殿方がウロウロ…。ちょっとぉ!
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現在のコインランドリーは裏手にありますが、昭和時代は薪置場だったんです。家の建替え、廃材に不自由しない時代です。ただ、かさばるので広い場所が必要だったそう。
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昭和63年(1988年)2月25日

1988年(昭和63年)2月25日、この日、昭和時代の銭湯は、今の充実した施設にその姿を変えました。松の湯の改装工事が始まった日です。間もなく昭和時代が終わる1988年、松の湯は大規模改装に入ります。カランや浴槽を丸ごと撤去し、間取りすら変える大規模手術。あのペンキ絵、タイル絵も姿を消しました。
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昭和が過ぎ、内風呂が当たり前の時代になっても変わってほしくないことがあります。それは、お子さんが小さいうちに銭湯に連れていって社会訓練をする習慣です。みんなで使う銭湯ゆえ、入浴前に掛け湯で身を清める。シャワーが隣の人にかからないよう気配りする。ごく自然に人と人との付き合いを肌で覚えられるのです。一声かければ、挨拶すれば何でもないことを、ついつい省略してしまう。もめ事が起きるのはそういう時です。

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→松の湯/第1話「銭湯に行ってみませんか」
→松の湯/第2話「男湯に入ってみる」
→松の湯/第3話「女湯に入ってみる」
→松の湯/第4話「銭湯の舞台裏」
→松の湯/第5話「昭和時代思い出の銭湯」(当記事)

取材協力:松の湯 八王子市小門町20

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by u-t-r | 2012-08-07 16:16 | 八王子見て歩記

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「現地で直接お話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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