八王子見て歩記/東京こけし(前編)

ハピネスリング・東京こけし
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東京で唯一のこけし職人さんが八王子にいました。その名は「東京こけし」。どんなこけしなのか、どうして八王子で生まれたのかを知りたくて、本町にある東京こけしハピネスリング様をお訪ねしました。

独特のフォルム
工芸品東京こけしを作っているのは、大蔵挽物木工所の大蔵國宣(おおくら くにのぶ)様。八王子生まれ八王子育ちの木地師さんです。ご主人が轆轤(ろくろ)を使って、こけしの木地を削り出し、奥様が1つ1つ手描きで可憐な花を描きいれます。

一般的なこけしは円柱の胴に丸い頭がついている砲弾型ですが、東京こけしは形も独特。大きな髷(まげ)を結った頭に、とっくりのような丸みを帯びた短い体を持ち、首にはネックレスが入っています。愛らしい姿かたちは一度見たら忘れられません。この首飾りを見た外人さんが「ハピネスリング」(幸せの輪)という愛称を付けてくれました。

木地師の家系
大蔵様のご先祖は現在の長野県は木曾ご出身で、ご主人で5代目の木地師だそう。木地師とは、ろくろに木を固定して回転させながら木を削って、お椀や鉢ものなどを作る木工職人です。お祖父様は腕のいい職人さんで、大正時代に自転車を乗り回すハイカラな方だったといいます。なぜ長野から八王子に移り住むことになったのでしょう。

お父様が10歳の頃です。一家の大黒柱お祖父様が38歳という若さでお亡くなりになったのです。残された兄弟7人は、稼ぎ手がいなくなった家を出て自活の道を歩むことになりました。兄弟揃って働く場所を探して上京。その後、お父様は映写技師となって結婚されます。そして戦争へ。復員後の八王子は繊維産業の景気が良い時代になり、織物関係の仕事をやろうという話しになりました。こうして始めたのが木工所というわけです。

織物と木工所の関係
織物といえば糸や機織り機というイメージですが、縦糸を巻いておく縦糸貯蔵ホビン、養蚕器具の紡器(ふわり)、杼(シャトル)、織り上がった反物を巻く芯木など、木工の仕事もたくさんありました。最盛期には20軒以上もの木工所が市内にあったそうです。

木工所で使う木のほとんどは地産材でした。八王子・多摩周辺では多摩産材と呼びますが、杉や檜ばかりではありません。用途に応じて、ケヤキ、ミズキ(水木)、籘(とう)、カシ、桑(くわ)、桜、朴(ほう)を使い分けます。木工所には必ず材木置場があり、ほどよく乾燥するまで半年から1年近く野ざらしにしておきました。大蔵様の作業所の横にも多くの種類の材木が眠っています。
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繊維不況の時代へ
30年ほど前、家業を継がれた頃から八王子の繊維産業は衰退の道を辿ります。木工の仕事も少なくなり、市内の木工所はわずか2軒に減少、製材所も今は2軒くらいしか残っていません。何かをしなければと考えた大蔵様、代々木公園で開催された「ふるさと東京祭り」に出展してみることにしました。ろくろと木材を持っていき、お客様の目の前で木地師の仕事を見てもらおうと考えたのです。

単純な円柱を削り出すのではお客さんが集まらない。試しにこけしを作り始めました。最初は東北こけしのようなシンプルなかたち。オリジナリティがないので、作っていても楽しくなかったそうです。「デザインください。あなたの好きなかたちに作ります」と書いた貼り紙を出したところ、色々なリクエストが寄せられました。「モスラを作ってください」「コマは作れますか?」「丸い球をお願いします」。ある人の注文は「まげを結ったような頭が大きなこけし」。さっそく作ったら、「これ、おもしろいね!」と大好評。それが東京こけしの原形となりました。
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試行錯誤の上、完成
最初に作ったこけしは、頭は今のデザインに近かったものの、東北地方の伝統こけしのように円柱形のままだったそう。それを見た奥様が「胴も頭に合わせて、うんと短くして丸みをつけてみたら?」というアイディアを出してくれました。お二人で考えながら20年経って完成したのが今のデザイン。首飾りもお客さんから「ネックレスを付けて」と言われたのが始まりだったそうです。1回作ったら、「私のもつけてください」「私も!」、リクエストが次から次へと。この首飾り、後から付けているんじゃありません。なんと1本の木から、こけしと同時に削り出しているんです。

こけしの絵付けは、ろくろを使った同心円状のものが多いですが、東京こけしは違います。花の絵を入れることは初期の段階から考えていたそう。奥様にお願いしたら、「絵なんて描けないわよ」と嫌がられてしまいました。それでも、お花が好きだった奥様、植物図鑑を参考に描きはじめてくださいました。花弁やがくの数、葉のかたち・付き方、正確さを期すために今でも図鑑をよくご覧になっているそうです。

大きな花の絵付けが特長の東京こけし、初めは桜や梅の花を散らした細かい文様でした。そのフォルムから大きな花の方がこけしの形に合うと考え、八王子市花の百合を手描きしてみました。以来、20年に渡って絵は進化を続けています。まるっとした優しいフォルムに大胆な花が入って、とてもお洒落。

棚に陳列された東京こけし、とっくり型と、胴体がすとんとまっすぐな2種類がありますね。「男の子はいないの?」「1人だけだと寂しいから2人いるといいね」という声に応えて、男の子と女の子の2種類作りはじめたそうです。名前も最初はなかったのですが、新聞に載った時に「東京にこけしが誕生」と付いた見出しを見て、東京こけしの名前が決まりました。
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大蔵様が実際にこけしを削り出しているところを見せていただきました。あの可愛らしいかたちがほんの3分ちょっとで生まれるんです。まるで魔法のような制作過程を後編でご紹介します。

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花がお好きな奥様が、1体1体描かれるこけしの絵付け。お客様の注文に応えて、お好きな花を描いてくださるそうですよ。外国の方だと、1体に百合の花もう1体にはお国の花を描いて喜ばれているそうです。たとえばポーランドの方ならヴィオラの花のように。

ご主人が産み出した丸いこけしの木地に、奥様が描き出す可愛らしい花。絵の上手な人に頼んでも、奥様の絵のようにはこけしに似合わなかったといいます。ですから完全手作り1品もの。2つと同じこけしはありません。

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→後編へ続く

取材協力:東京こけしハピネスリング(〒192-0066 東京都八王子市本町2-11-12)

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by u-t-r | 2010-05-25 16:00 | 八王子見て歩記

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「現地で直接お話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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