八王子見て歩記/120年の店蔵

120年の歴史を刻んだ店蔵
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八幡町の甲州街道沿い。ビルの谷間にひときわ目立つ重厚な蔵づくりの建物がありました。江戸後期から150年続く、荒物加島屋様の店蔵です。6代目ご当主の城所正雄様にお話しをうかがいました。

贅を尽くした蔵造り

この店蔵が建てられたのは、今から120年前の明治20年(1888年)。当時の加島屋様は、専売制だった塩やせっけん・油など日用雑貨の卸問屋でした。建築された時は、今より横幅が狭かったそうですが、その後、右側の間口を柱1本分増築して現在の姿になりました。商いをする場所として、また、商人をめざす若者を住み込みで学ばせていたので、別名「加島屋学校」とも呼ばれていました。何人もの若者がここで読み書きそろばんを身につけ、巣だっていったのです。
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店先には往時を偲ばせる見事な商品看板がかけられています。昭和時代中頃まで、看板の文字は右から左へと書いていました。「城所荘蔵商店」は、代々のご当主が「城所荘蔵」名を継いでいたところから。「かおう」ではなく「かおー」、「せっけん」は「せつけん」。なんとも渋い!

ご当主にお願いして、お店の中を見学させていただきました。商家の蔵造りは、本来、防火を目的として建てられたもの。近隣に大火のあった時も、窓や戸を閉めきれば、優れた耐火性能で類焼が防げます。同時に重厚な外観には、大店としての信用をアピールする役割もありました。中でも、加島屋様の蔵は贅を尽くした造りです。金物からして、日本刀と同じ玉鋼で作られた一品作りのもの。「金物だけでもいいから分けてほしい」と言われたこともあるそうです。
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太いムクのケヤキの構造材には更に漆を塗って耐久性を増してあり、築後120年経った今でも、割れや狂いがまったくありません。お聞きすると、当時は木を選ぶのにまず10年。伐採後の自然乾燥にも10年はかける時代だったといいます。専門家によると、同じものを今建てようとしたら坪500万円は下らないとか。いや、これだけの銘木を集める事自体もう難しいかもしれません。

地震と戦災

大正12年(1923年)9月1日。関東地方にM7.9の大地震が発生しました。関東地震(関東大震災)です。11:58の本震に続き、同日12:01にはM7.3、12:03にはM7.2の余震が。店蔵も大きな揺れに襲われましたが、幸い屋根瓦の落下被害に留まりました。大火災にみまわれた東京や横浜に比べ、倒壊家屋も少なかった八王子ですが、当時の東京左官職組合の記録によると、この大地震に耐えた土蔵は100軒前後に過ぎなかったようです。大正期まで残っていた江戸名残りの蔵は東京からほとんど消えてしまいました。
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この地震の教訓から、店蔵は大規模な改修工事を受けます。外壁をコンクリートで覆うとともに、防火性能の高い重量シャッターを設置。継ぎ目なしの大きな1枚扉。ドイツ製の輸入品でオーダーメイドだそうです。今でも当時の機械のまま、摩耗やゆるみもなくスムーズに動作しています。この備えが、後日、大火から店蔵を守ることになりました。

関東大震災から22年後、二度目の災禍が店蔵を襲います。昭和20年(1945年)8月2日未明。八王子大空襲です。B29約170機が焼夷弾67万発を投下、旧市街地の約80%を焼失します。観音開扉(かんのんひらきとびら)とシャッターをしっかり閉ざし、皆で避難。次々と焼夷弾が降り注ぎ、店蔵にも何発かが当たりました。周囲の家屋は次々と炎上し、あっけなく崩れ落ちていきます。

空襲が終わり、避難していた店員さん達が店蔵に戻ったところ、建物の一部がくすぶり、隙間から薄い煙が外に漏れていました。不用意に戸を開けると、外気(酸素)が入り一気に燃え上がってしまいます。外側から何度も水をかけて、それ以上火が広がるのを防ぎ、その後、3日間蔵を閉ざしたまま自然鎮火を待ったそうです。3日目になって、恐る恐る開けて中をのぞいたところ、太い梁は芯まで燃えることなく、表面だけ炭化して自然鎮火していました。裏手にあった母屋こそ焼失したものの、店蔵はみごと猛火に耐えたのです。今でもお店の入口の右に、空襲で焼け焦げた跡を見ることができます。
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戦争が終わって、復員された方が八王子駅から市街地を望むと、一面の焼け野原。多くの戦友と出発したふるさと八王子の街並は、すっかり変わり果てていました。残っていた建物は、はるか遠くにぽつんと見える店蔵と銀行だけだったといいます。今でもその眺めが忘れられないとおっしゃっているそう。江戸時代からの大きな宿場町だったかっての八王子。戦災によって、その建築物のほとんどを失ってしまいましたが、生き残った店蔵は往時の八王子の姿を偲ばせてくれます。

写真は、昭和28年(1953年)に甲州街道の拡張工事にともなって、店蔵を後ろに引いた時のものだそうです。あれだけ重たそうな建物をジャッキで上げ、レールの上を滑らせて…。当時は人力だけでこんな大工事をやったのですね。
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店蔵の2階

2階建ての店蔵は、鉄筋コンクリート4階建てのビルとほぼ同じ高さです。ところで、2階はどうなっているんでしょうね?普段滅多に見られない2階を、特別に見学させていただきました。

2階は元々、店員さん達の居住スペースだったそうです。畳が敷かれていて、住み込みの子たちはここで寝起きをしていました。その当時は店蔵と母屋の間に太鼓橋(渡廊下)があり、裏手の母屋で、ご当主家族と一緒に食事をとっていました。
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急な階段を上がっていくと、高い空間が広がっていました。観音開扉から入るほのかな光が、内部を幻想的に照らしだしています。築120年とは思えないほどつややかでヒビ1つ入ってない太いはり。今でも、接合部には紙1枚入る隙間さえありません。当時、どのくらい途方もない手間をかけて建てたのでしょうか。調度品の中には慶長年間のものさえ残っているそう。

5〜6年前に八王子の小学校の教科書にも載ったこの店蔵。今でも子ども達が社会科の見学や写生に訪れています。私たち八王子市民にとっても、かけがえのない歴史的建造物、いつ博物館になっても不思議はない貴重な文化遺産ですが、驚くべきことに、今も現役のお店なんです。場所は、八王子市八幡町の本郷横町東交差点。JR八王子駅からバス5分。歩いても15分くらいです。
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取材協力:荒物加島屋(八王子市八幡町11-6 Tel.042-625-0144)
by u-t-r | 2008-09-23 18:37 | 八王子見て歩記

UTR不動産です。八王子の歴史や暮らしをコツコツ取材しています。基本は「現地で直接お話しを聞く!」。地元の話題が多いですが、どうぞお付き合いのほどを。


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