八王子見て歩記/龍神渕と醍醐林道1
2015年 10月 13日
醍醐の龍神伝説と醍醐林道
醍醐林道入口〜龍神渕
八王子市上恩方町醍醐地区
降宿(振宿)の龍蔵神社を過ぎて醍醐川沿いの道を進めば1.5kmほどで醍醐林道入口に着きます。このあたりは恩方の中で最も奥地の醍醐地区。多摩川源流のひとつである醍醐川に豊富なわき水が流れこみ、急傾斜の岩壁に両側を囲まれた袋谷の地形になっています。雨乞いの神様として知られる醍醐の龍神伝説は、龍蔵神社と龍神渕がセットになって語られるのです。
醍醐林道入口へ
龍神渕へは龍蔵神社から途中まで道路を車で行き、途中から林道を歩いていきます。通行止めフェンスの先から醍醐林道。今回は地元の方の了解をいただいて林道に車で入りました。とはいっても一般道と違って、路肩の安全フェンスがなかったり、崖崩れがあったりで走行には十分な注意が必要です。
たとえば、帰る時に車を転回させる場所ですが、林道入口のこのスペースしかありませんでした。先に進めても帰りはずっとバックで戻るハメにもなりかねません。ちなみに注意看板があるあたりから先は崖になっています。
鮮やかな青い羽はカラスアゲハ。基本的に市街地にはおらず、醍醐の自然が生んだ蝶です。他にはウラギンシジミやキチョウなど。大きなスズメバチやアブがいたのには驚きました。
龍神渕は現地に看板が立っているわけではありません。出発前に八王子市観光課様発行の「八王子観光エリアマップおんがた」などで場所を確認しておきましょう。目安としては、醍醐林道とににく沢林道の分岐近くです。(クリックで拡大)
ににく沢林道分岐へ
醍醐林道は1車線の道路です。道幅が狭い上、車同士がすれ違える場所はなく、対向車が来たらどうしましょうという感じ。ガードレールが苔むしているのは森の深さと谷間ゆえです。
左の崖下を流れるのは醍醐川。澄み切った水が冷たそう。観光課様にお聞きしたら「マムシがいるので絶対降りないように!」と言われてしまいました。
路肩に黄色い工事用フェンスが。ガードレールが切れてしまっているようです。
通り過ぎてからフェンスのある場所を見たら、路肩が崩れてしまっていました。道路が宙に浮いてる。ひえ〜〜っ!
カーブの先に2つ目の通行止めフェンス。
醍醐林道とににく沢林道の分岐でした。右の道路が林道ににく沢線、左が醍醐林道です。
分岐にあった石碑。天保15年(1844年)と読めます。現在の八王子には山間部を横に結ぶ道路は少ないですが、江戸時代以前は生活道路としては何本もの山道があったようです。(クリックで拡大)
龍神渕
龍神渕はににく沢林道分岐の崖下にあります。木立の間から龍神伝説の龍神渕がかすかに見えました。
雨たんもれ 龍神のう
大嶽やァまの黒雲
雨がざっざと 降ったりな
ぢいりぢっとも 降ったりな
古くから恩方村に伝わる雨乞唄です。
雨乞いで知られる龍神渕は、龍蔵神社からさらに1.5km以上も山奥にある深い淵でした。以前は林道から淵へ降りる道があったそうですが、今は下流から沢を歩く以外の方法はありません。
別名雨乞い淵とも呼ばれていますが、この場所は龍神様の棲家とされていて多くの伝説が残っています。
この淵の水を「御水」といっている。雨乞いに来たものは神主に祈祷してもらい、龍蔵権現に参拝してから、この「御水」を借りて帰る。神主は「御水」を汲みに行く者に「淵へ行っていたずらをすると、龍神が怒り大暴れに暴れるから慎むように」と注意していた。ある時近村の若者が、神主のことばにそむき、淵へ石を投げ込んで帰った。ところが、この若者が鎮守の森に着いたところ、一天にわかに曇り、地軸もくだけんばかりの、ものすごい雷雨となり、数カ所に落雷がおきたと伝えられる。
またある男が、淵で汚れたものを洗ったことがある。すると一日中淵が唸りつづけていた。この淵は岩と岩にかこまれて、一見せまそうに見えるが、下は広く、底知れぬ深さになっている。ここから一山越えた川井野の「どうどう淵」につづいているといわれている。龍神渕に流れこんだ鶏が翌朝は、どうどう淵へ流れていたという話もある。
龍神渕は男淵・女淵に分かれていて、上の方を男淵、下を女淵と呼んでいる。女淵の下流に乙姫さまが遊びに来たという淵がある。そばに乙姫さまの顔洗い岩という、くぼんだ岩があって常に水をたたえている。
昔ある男がこの淵の木を伐ろうとして、あやまって鉈を淵の中に落としてしまった。男が淵の中へもぐって鉈を探していると、美しい乙姫さまが現れて、
「お前は落とした鉈を探しに来たのであろうが、もうこの木を伐ってはいけない。今日は幸い淵の主がいないので、早く帰りなさい」とやさしくいって、落とした鉈を返してくれた。乙姫さまは、鉈の他にくだがらという織物の緯糸(よこいと)を巻くものを一緒に与えた。この男の家にはつい最近まで、その鉈とくだがらが伝わっていたといわれていた。
またこんな話もある。ある老人が、この淵の上で薪を拾っていた。老人も鉈を淵に落としてしまった。老人が鉈を探していると、一人のふしぎな人が淵の上に立って、
「おまえに糸を巻いた管を与えるから、家に帰ったら布を織らせ、残りは毎日神棚に置いて、翌日もまた織りなさい。そうすれば、この糸はいつまでもなくならない。だが、このことを決して他人に話してはいけない」とつげた。この男は約束が守れず、他人に話してしまった。すると、糸はきれいになくなってしまったそうだ。
※「くだがら」とはシャトル(杼)の 中に納めるロウソク状の管で、緯糸を巻きつける糸巻きです。このシャトルが織機内を左右に往復運動しながら緯糸を経糸の間に織り込んでいきます。
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醍醐林道スタート地点のフェンスを通ろうとしたところ、前方に何やら四つ足で動くものが…。イノシシでした。すぐ逃げてしまいましたが、縞模様がないところから生後4か月を過ぎた個体と思われます。蝶、猪ときて、これで鹿が揃えば五文だな…。(クリックで拡大)
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醍醐の龍神伝説(3話)
龍蔵神社「龍神様のお社」上恩方町振宿地区
龍神渕と醍醐林道-1「醍醐の龍神伝説と醍醐林道」上恩方町醍醐地区(当記事)
龍神渕と醍醐林道-2「醍醐川上流端とばばころがし」上恩方町醍醐地区
取材協力:八王子市郷土資料館
参考資料:藤九郎屋敷と上恩方の歴史(楢本要助著)、八王子市恩方見て歩き絵図(企画:秋間健郎・制作:岩倉節)、八王子発見路地散策案内(中島善弥著)
醍醐林道入口〜龍神渕
八王子市上恩方町醍醐地区
降宿(振宿)の龍蔵神社を過ぎて醍醐川沿いの道を進めば1.5kmほどで醍醐林道入口に着きます。このあたりは恩方の中で最も奥地の醍醐地区。多摩川源流のひとつである醍醐川に豊富なわき水が流れこみ、急傾斜の岩壁に両側を囲まれた袋谷の地形になっています。雨乞いの神様として知られる醍醐の龍神伝説は、龍蔵神社と龍神渕がセットになって語られるのです。
醍醐林道入口へ
龍神渕へは龍蔵神社から途中まで道路を車で行き、途中から林道を歩いていきます。通行止めフェンスの先から醍醐林道。今回は地元の方の了解をいただいて林道に車で入りました。とはいっても一般道と違って、路肩の安全フェンスがなかったり、崖崩れがあったりで走行には十分な注意が必要です。
たとえば、帰る時に車を転回させる場所ですが、林道入口のこのスペースしかありませんでした。先に進めても帰りはずっとバックで戻るハメにもなりかねません。ちなみに注意看板があるあたりから先は崖になっています。
鮮やかな青い羽はカラスアゲハ。基本的に市街地にはおらず、醍醐の自然が生んだ蝶です。他にはウラギンシジミやキチョウなど。大きなスズメバチやアブがいたのには驚きました。
龍神渕は現地に看板が立っているわけではありません。出発前に八王子市観光課様発行の「八王子観光エリアマップおんがた」などで場所を確認しておきましょう。目安としては、醍醐林道とににく沢林道の分岐近くです。(クリックで拡大)
ににく沢林道分岐へ
醍醐林道は1車線の道路です。道幅が狭い上、車同士がすれ違える場所はなく、対向車が来たらどうしましょうという感じ。ガードレールが苔むしているのは森の深さと谷間ゆえです。
左の崖下を流れるのは醍醐川。澄み切った水が冷たそう。観光課様にお聞きしたら「マムシがいるので絶対降りないように!」と言われてしまいました。
路肩に黄色い工事用フェンスが。ガードレールが切れてしまっているようです。
通り過ぎてからフェンスのある場所を見たら、路肩が崩れてしまっていました。道路が宙に浮いてる。ひえ〜〜っ!
カーブの先に2つ目の通行止めフェンス。
醍醐林道とににく沢林道の分岐でした。右の道路が林道ににく沢線、左が醍醐林道です。
分岐にあった石碑。天保15年(1844年)と読めます。現在の八王子には山間部を横に結ぶ道路は少ないですが、江戸時代以前は生活道路としては何本もの山道があったようです。(クリックで拡大)
龍神渕
龍神渕はににく沢林道分岐の崖下にあります。木立の間から龍神伝説の龍神渕がかすかに見えました。
雨たんもれ 龍神のう
大嶽やァまの黒雲
雨がざっざと 降ったりな
ぢいりぢっとも 降ったりな
古くから恩方村に伝わる雨乞唄です。
雨乞いで知られる龍神渕は、龍蔵神社からさらに1.5km以上も山奥にある深い淵でした。以前は林道から淵へ降りる道があったそうですが、今は下流から沢を歩く以外の方法はありません。
別名雨乞い淵とも呼ばれていますが、この場所は龍神様の棲家とされていて多くの伝説が残っています。
この淵の水を「御水」といっている。雨乞いに来たものは神主に祈祷してもらい、龍蔵権現に参拝してから、この「御水」を借りて帰る。神主は「御水」を汲みに行く者に「淵へ行っていたずらをすると、龍神が怒り大暴れに暴れるから慎むように」と注意していた。ある時近村の若者が、神主のことばにそむき、淵へ石を投げ込んで帰った。ところが、この若者が鎮守の森に着いたところ、一天にわかに曇り、地軸もくだけんばかりの、ものすごい雷雨となり、数カ所に落雷がおきたと伝えられる。
またある男が、淵で汚れたものを洗ったことがある。すると一日中淵が唸りつづけていた。この淵は岩と岩にかこまれて、一見せまそうに見えるが、下は広く、底知れぬ深さになっている。ここから一山越えた川井野の「どうどう淵」につづいているといわれている。龍神渕に流れこんだ鶏が翌朝は、どうどう淵へ流れていたという話もある。
龍神渕は男淵・女淵に分かれていて、上の方を男淵、下を女淵と呼んでいる。女淵の下流に乙姫さまが遊びに来たという淵がある。そばに乙姫さまの顔洗い岩という、くぼんだ岩があって常に水をたたえている。
昔ある男がこの淵の木を伐ろうとして、あやまって鉈を淵の中に落としてしまった。男が淵の中へもぐって鉈を探していると、美しい乙姫さまが現れて、
「お前は落とした鉈を探しに来たのであろうが、もうこの木を伐ってはいけない。今日は幸い淵の主がいないので、早く帰りなさい」とやさしくいって、落とした鉈を返してくれた。乙姫さまは、鉈の他にくだがらという織物の緯糸(よこいと)を巻くものを一緒に与えた。この男の家にはつい最近まで、その鉈とくだがらが伝わっていたといわれていた。
またこんな話もある。ある老人が、この淵の上で薪を拾っていた。老人も鉈を淵に落としてしまった。老人が鉈を探していると、一人のふしぎな人が淵の上に立って、
「おまえに糸を巻いた管を与えるから、家に帰ったら布を織らせ、残りは毎日神棚に置いて、翌日もまた織りなさい。そうすれば、この糸はいつまでもなくならない。だが、このことを決して他人に話してはいけない」とつげた。この男は約束が守れず、他人に話してしまった。すると、糸はきれいになくなってしまったそうだ。
※「くだがら」とはシャトル(杼)の 中に納めるロウソク状の管で、緯糸を巻きつける糸巻きです。このシャトルが織機内を左右に往復運動しながら緯糸を経糸の間に織り込んでいきます。
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醍醐林道スタート地点のフェンスを通ろうとしたところ、前方に何やら四つ足で動くものが…。イノシシでした。すぐ逃げてしまいましたが、縞模様がないところから生後4か月を過ぎた個体と思われます。蝶、猪ときて、これで鹿が揃えば五文だな…。(クリックで拡大)
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醍醐の龍神伝説(3話)
龍蔵神社「龍神様のお社」上恩方町振宿地区
龍神渕と醍醐林道-1「醍醐の龍神伝説と醍醐林道」上恩方町醍醐地区(当記事)
龍神渕と醍醐林道-2「醍醐川上流端とばばころがし」上恩方町醍醐地区
取材協力:八王子市郷土資料館
参考資料:藤九郎屋敷と上恩方の歴史(楢本要助著)、八王子市恩方見て歩き絵図(企画:秋間健郎・制作:岩倉節)、八王子発見路地散策案内(中島善弥著)
by u-t-r
| 2015-10-13 16:00
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